回天記念館へ
2015-07-11


山口県周南市沖の大津島(おおづしま)レポート、
とうとう今週はここの話題ばかりになってしまいました。


ちなみに周南市(しゅうなんし)というのは昔で言う徳山のことです。
徳山周辺の下松、光、新南陽など4市4町による“
平成の大合併”で
2003年に誕生しました。


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「回天記念館」
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両脇の芝生部分に亡くなった回天搭乗員や整備員ら
145人の名前と出身県が刻まれた石碑が並んでいました。
出身県が全国に及んでいるのは想像してた以上にショックです。


人間魚雷「回天」
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秘密兵器で戦時中は「マル六」が正式名称だったそうです。


記念館の中、雰囲気だけなら撮っていいそうです。
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菊水紋、菊の御紋と同じく日本海軍の象徴ですね。
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一度乗り込むと中から自分で出られないとか、
嫌がる搭乗員を無理やり押し込めたみたいな誤解があるけど
そんなことはありません。

訓練や整備で乗り降りもするし、
父母兄弟や愛するものを守ろうと自らの意志で覚悟して乗ったのです。

また「回天」ばかりが注目されがちだけど
積んで戦地まで行った潜水艦や輸送艦も決死の覚悟でした。


「回天」の九三式酸素魚雷エンジン
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酸素魚雷のエンジンは取り扱いが難しく水圧による不具合や
有毒なガスも発生するし命中以前に操縦が困難を極めたそうです。


鎮魂の鐘楼と回天記念館
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今のようにレーダーやセンサー、誘導装置が発達してれば
こんな不幸な兵器は生まれなかったのに・・・


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“幸せな兵器”というのも無いだろうけど・・・、
そんなことを思いながら記念館を後にしました、合掌。


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「回天記念館」のある場所は回天搭乗員の宿舎跡だそうです。
この坂道も彼らが日々訓練や出撃で行き来したはずです。
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坂道から見える風景一帯が海軍の大津島基地でした。
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左の塀は当時のそのままだって。
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